今、弦楽器関連株を買わないヤツは低能
島村楽器イオンレイクタウン店にてウクレレセミナーの講師のお仕事。
初めてなのに沢山の人が集まってくれて嬉しかった。
集まってくれた皆さん、島村楽器のスタッフの皆さんありがとー!
そーいや、こんな形で「正式なお仕事」としてウクレレの先生やったのって初めてかも。 というより、今まではお仕事としてのウクレレの先生の依頼は断ってきた。
もちろんウクレレ大使としてワークショップは何百回とやっとるけど、ウクレレ大使のワークショップは、ウクレレが目的じゃなくそのイベントに来た人を巻き込んである意味強引にウクレレを体験してもらうスタイル。 基本的に無料だしウクレレを積極的にやりたくて集まってくれた人を対象にしとらんもんで、ウクレレを触ってすぐに弾いて楽しめる即効性が高いコンテンツがメイン。
でも昨日みたいなセミナーだとみんな積極的にウクレレの事を知りたがってくれとるもんで、音楽のもうちょっと深い部分にある楽しさまで触れられるもんで楽しい。
まずは普段通りウクレレの持ち方から始めてC、Am、F、Gと進んでパン粉の唄まではほぼ全員マスターしてもらえた。 所々でプチライブや音楽シーンの話も交えながら、ゴリ論のラーメン理論や半沢直樹理論やアドリブ体験にもちょっとだけ触れられた。 その場で完結するセミナーじゃなく、音楽の無限の可能性を少しでも感じてもらって家に帰ってからも音楽のことを自分なりに考えちゃうようなセミナーをやりたかったもんでね。 自分なりの音楽理論書「ゴリ論」を書き上げたことで講義内容の奥行きも広がった。 最後に人生大丈夫ンブンブンを熱唱したんけど、参加してくれたお父さんが涙流してくれたり、小学生の女の子も終わった後に興味津々で話かけてくれて嬉しかった。 島村楽器のウクレレセミナーに参加する人の多くが、音楽を本格的にやったことがなかったけど大人になってから音楽で何かをしたくてウクレレに興味を持った人らしい。 そんな初心者向けのレッスンほどその講師が大事にする部分が出る。 セミナーが終わった後に島村楽器の猪古さんとそんな話になった。 ワシが大事にしとる部分を評価してもらえた気がして嬉しかった。 名プレイヤーが名コーチになれる訳じゃない。
ワシ自身がウクレレの名プレイヤーじゃないからこそ教えられることもあるってことを改めて実感させてもらった。 ウクレレを教えとる人には大きく分けて3パターンあるらしい。 1.ハワイアンミュージシャン。 2.元々ギタリストやベーシストといった
弦楽器奏者でウクレレにハマった人。 3.ジェイクシマブクロ的なテクニシャンに憧れて子供の頃から本格的にレッスンを受けて成長した人。 ワシはそのどれにも当てはまらず、バンドのボーカルとして自分のバンドの唄を1人でうたうための相棒としてウクレレが便利でしっくりきたもんでウクレレにハマった人。 だで楽器演奏者としては完全に素人な状態でウクレレを始めた。 つまりは一番初心者の気持ちがわかるって訳。 というか永遠の初心者(笑) ということででっかい声で言わせてもらいます。 ウクレレ初心者はハンサム判治に任せとけ! 全国の音楽教室、ウクレレ関係者のみなさん、お仕事お待ちしとります(笑) 通算ライブ数2000回を超える場数の多さでどんな環境でも対応します。 芸事を教える上で、一番大事なことは、強制せんことだと思っとる。 だって芸事に正解はないんだでね。 自分の実体験から得たヒントを提示して、自分なりのスタイルを見つけたいって思ってもらうことが一番大事だと思う。 そんで自分がやりたいことが具体的に見えてから、それを実現するために専門的な練習に入るべきなんよな。 その後はワシじゃなく専門的なコーチに任す(笑) 元AKB48の森あんなちゃんにもウクレレ初体験してもらった。いつかハンサム判治プロデュースでデビューしちゃうかもな。 イオンレイクタウンの店長さんとウクレレ担当の河崎さんと記念撮影。 島村楽器は全国チェーンで全国各地に店舗展開しとるもんで、まずは関東の店で評判になれば全国各地に行けるかも。
ウクレレセミナーは基本昼間だしそれに合わせて夜はその地方のライブハウスでライブもできちゃう。
旅の唄うたいとしては最高の展開じゃん。 今年頭に豪徳寺のリーフルームで島村楽器の猪古さんと対バンしてからレレチャリに来てくれるようになったりして島村楽器の仕事に繋がったんよ。 来週土曜もイオンモール川口店のウクレレデイというイベントに出演。
今日からそれまで9/15(金)のゴリラ人間ズの初ライブも含めて毎日うたう仕事が続く。 6年前の春、初めてウクレレ大使として陸前高田の避難所でウクレレワークショップをやらせてもらった時の写真。 この日から始まったウクレレを広める活動が今に繋がっとるんよな。 素晴らしき日々と出会いに感謝だのん。
格差社会を生き延びるための弦楽器
きのうは台風が接近し、首都圏では冷たい雨が降る日曜日だった。昼すぎに外出したが、上着なしでは肌寒いほどだった。
渋谷駅で下車し、公園通りの坂道を上っていく。以前西武デパートのモヴィーダ館というのがあったが、いつの間にか無印良品に変わっているのに気づいた。
この館では以前、新進気鋭のクリエイターの服を扱っていたが、やはり採算が合わなくなったのだろうか。ファストファッション全盛のご時世だから、これは当然、現実的な対応だったに違いない。
目的地のNHKホールに到着。代々木公園は好天だったら絶好のロケーションなのだが、この日はあいにくの天気だった。が、雨の代々木公園も、これはこれで風情があった。
さて、きのうはNHK交響楽団の定期公演に行ってきた。首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ指揮で、演目はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」だった。
個人的に大好きな曲であり、ヤルヴィとN響の組み合わせは、テレビでみていて、感心させられることが多く、このプログラムはずっと気になっていた。
東響や都響を尊び、N響を卑しむのが通なクラシックファンであるかのような風潮があるが、ヤルヴィが首席になってからのN響は、なかなかの充実ぶりではないかと思う。
で、前日になって思い立ち、ネットでチケットを確保した。ショスタコの交響曲中で最大規模の曲であり、演奏時間も長い。聴く側にもかなりの集中力が必要なため、十分な睡眠時間を確保してから、当日に臨んだ。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番は副題通り、独ソ戦争のレニングラード包囲戦のさなかに書かれた曲だという。
それにしても、ヒトラー対スターリンという独裁者対決にはすさまじいものがある。実際、ちょっと戦況が悪くなると、両者ともに、バッサバッサと指揮官の首をすげ替えたといわれる。
ところが、ある時期からスターリンに限っては現場の意見に耳を傾けるようになり、スターリングラード戦以降、ソ連が優勢になったという。ドイツ軍側は、予期せぬ長期遠征ゆえ、兵站に失敗したのも敗戦の原因のようだ。
ヒトラーは、ナポレオンのロシア遠征と同じ失敗を犯したことになるだろう。戦争において兵站は生命線であり、日本軍もインパール作戦でこれに失敗した。
こうやって凄惨な独ソ戦について考えていたら、開演時刻となった。
楽員が入場してくると、まるで18世紀からタイムスリップしてきたような佇まいの外国人が目をひいた。モジャモジャの長い髪に恰幅の良い体格。この男性が座った席から、ゲストコンサートマスターであることが判明した。
オーケストラの配置は、第1と第2ヴァイオリンが向かい合う、対向配置だった。最近は高音が下手側、低音が上手側という
弦楽器の配置が多いが、個人的には、ステレオのような効果のある対向配置が好きだ。
第2ヴァイオリンのトップには、大林修子さんが座った。少し前までは次席、さらに首席代行の肩書きだったが、どうやら首席になったようだ。以前、大林さんの室内楽の演奏を聴いたことがあるが、それは美しい音色だった。
首席に昇格したのもうなずける。
後日テレビ放映される演奏会ではあるが、拙い感想を書いてみようと思う。
陰気な曲が多いショスタコだが、この曲については、輪郭のはっきりした冒頭の第一主題から郷土心がストレートに表現されているように感じられる。
その冒頭の主題は抑制された音色だったが、兵隊の行進を思わせる打楽器が加わる中盤で、一気に高揚感が溢れ出した。第一主題が緩やかに、優しく回想される
弦楽器の音色に、感銘を受けた。
この第1楽章は山あり谷ありといったあんばいで、聞きごたえがある。
1階席で聴いたが、やはり生の演奏はテレビ放映とは比べ物にならない。いちばん近いヴァイオリンを始めとする
弦楽器の瑞々しい音色が、耳に残る。 第3楽章では、その
弦楽器主体で始まり、豊かな感情表現に感じられた。マーラーの交響曲のアダージョ楽章にありがちな調子で、これまたショスタコーヴィチにしてはストレートな表現だ。
「祖国の大地」という表題がついているが、そんな感じだった。酷寒のロシアだから、実際には不毛な大地なのかもしれないが、理想とする豊穣な大地といったところだろうか。
フィナーレは大迫力だった。指揮者のヤルヴィは顔を真っ赤にしてタクトを振り、うなり声まで聞こえてきて、気迫が伝わってきた。同じフレーズが繰り返され、高揚感が徐々に高まる終盤は圧巻だった。
この最終楽章には「勝利」という表題がつけられており、独ソ戦における勝利が背景にある。それはまた、勝てば官軍という危険な愛国心と結びついたものでもある。
とはいえ、それを度外視しても、普遍的なものが見出せる作品ではないか。スターリングラード、すなわち現在のサンクトペテルブルクから遠く離れた日本で聴くと、なおさらその感を強くする。
それにしても、ヤルヴィはロシアのプーチン大統領によく似ている。ヤルヴィは旧ソ連のエストニア出身。プーチンを柔和にした雰囲気、とでもいえようか。