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弦楽器は弾いた事ないなぁ
おはようございます
今日~土曜日まで6日間
なが~い出勤予定であります
休みの2日間は
用事や買い物を済ませて
後半はだらだら過ごして
また、ひたすら断捨離に励む
1日で終了しました(笑)
行きつけのコンビニが
改装工事中の為
別のコンビニに寄って
出勤してるんだけど~
勝手が違うと言うか…
欲しい物がないと言うか
9月8日オープンまで
ほんまに待ち遠しい…
弦楽器、支払の自由
公式ハッシュタグランキング: 位 で、そんなお次は、火焔山。(とベゼクリク千仏洞) 名前がすでに暑いーーーー(;´Д`)とか言いつつ、まぁ車に乗ってるだけなんで。 火焔山も結構離れていて車で1時間とかだったかなぁ…山しかない。まぁ、それを見に来たんだけど(笑) 途中、山がすごい近くに見えるところで撮影休憩。 砂の山…(実際は砂と岩みたいだけど)面白いのは、たまに砂の雪崩というか、流れるのかその跡が山肌についてる(o´ω`o) ちょっとしたスペースなんだけどここが面白かったのは温泉卵ならぬ 砂漠卵(笑)よく夏に、「暑すぎて車のボンネットで目玉焼き焼ける」とかいうけど、砂山でも焼けます(笑) 傍らの小屋(店)には、干し葡萄が! と旦那とワイワイ写真撮ってたらガイドさんが見知らぬ観光客(中国人)に「トルファン来てどんな感想を持った?」としつこく聞いていてドン引かれていた…(;゚∀゚)=3通常テンション高い観光客を引かせるって相当では…? そこから車で20~30分くらいで、ようやくベゼクリク千仏洞に到着。 千仏洞っていうから、岩肌とかに千体仏像がガーっとある感じかと思いきや、莫高窟と同じような感じ。こちらも、時代的には唐(高昌)の時代に盛んに作られたものだそう。めっちゃ流行ってたんだね… 新疆から敦煌辺りにかけてはこういう石窟はいくつも発見されているしねぇ。 こちらは、人が集まるオアシスからは離れているものの莫高窟のように生活の中の仏教というより修行のために近いために離れたところに作ったそう。 基本的には長方形に掘られていて、一面が壁画となっていますが、大体の構造は莫高窟と同じ。ただ、大きく違うのはこの土地がのちの時代、イスラム教を信仰するウィグル人により統治されたことにより偶像崇拝を認めないイスラム教徒によって壁画も含めた顔がすべてつぶされてしまっていること…。 あーあー、出た出た。 ベゼクリク千仏洞は77しか石窟がないので(規模を莫高窟と比べちゃうと…)数か所見て終了。最後の石窟を出たところで、地元の人がこのあたりの
弦楽器を使って歌を歌っていて、それがなんか風情溢れててよかった(´∀`)ノ まぁ、暑すぎてもうろうとしてますけどね。で、車に戻り来た道を戻る。ちなみにベゼクリク千仏洞は火焔山の中(中腹)にあるのだけど入口付近には西遊記のメンバーの銅像とかがあったよ。 これはまた違うところ。でっかく「火焔山」!と看板が(笑)分かりやすい(笑) 火焔山は西遊記にも実際出てくる山。常に炎が燃え盛っていて、それを消すために芭蕉扇が必要だったため、それを持つ鉄扇公主と戦ったとかそんな話だったような…火焔山といえば牛魔王と芭蕉扇だね、とか旦那と話しつつ、実際二人とも頭に浮かんでたのはドラゴンボールなんだけど(笑) 市内の方に戻って、午後の観光の前にお昼ご飯。この時点で1時半とかだったかな? お昼は中国人ツアー客が多く使うっぽいホテルの中の食堂。味はおいしい。ただ、量が多い… 毎回そうだけど、頑張って食べるものの(少な目でいいって言っても多く注文されるので)そうはいっても旅行中はあまり食べすぎるとその後の体調不良を招きかねないので… と、ここでも半分くらい食べるのが精いっぱいだったんだけどガイドから「お口に合わないみたいで…」と何度も言われる…そのたびに「いや、おいしいですよ。量が多いんで。」というけど、おいしくないんだろう、的な決めつけをされて辟易…なんだろ、嫌味かな?しかも、新疆来てまで中華っていうね…。 中国旅行の場合、大体ガイド付きなんだけど、日本で旅行会社のツアー頼んで現地ガイド付きの海外旅行するとたとえ団体旅行じゃなく個人旅行だとしても大体、ツアー客がまとまって食事していたりするけど(色んなツアー客がいる。たぶんツアー専用レストラン。JTBとかだと景色がいい席とか、ちょっと原価が高そうとか値段に比例するなーってイメージ(笑))中国旅行の場合はガイドのセンスに比例するなぁ、という個人的な印象。それは夜ご飯で決定的になるんだけど。 ただ、正直に言ってるのにそれを穿ってわざわざ誤解するって意味あるのかな?とちょっといらっと来たという話です。 その後、午後の観光スタート。午後一は、朝チケット買うのにめっちゃ時間がかかった交河故城です。 交河故城は高昌故城より更に古い時代のもので一番古い遺跡。高昌故城と共に世界遺産「長安-天山回廊の交易路網」の中の一つに入っている場所。 特徴としては、二つの河に挟まれた中洲のような形で、つまりは天然の要塞だったという事。 全長は南北に1750m、東西に300mほど。砂漠に河?とも思うけど、昔は河がたくさんあったらしい。水源は、天山山脈にある雪が解けたもの。今は河こそないものの、地下水脈としてずーっと流れているとか。それはこの後に行くカレーズというところで目の当たりにするんだけど(o´ω`o) またまた、資料館を抜けてカートのようなもので移動。 さっき資料館で見たあの中洲のような形の場所を歩いていきます。 建物はすべて修復されてるわけではないのだけど道は舗装されているので歩き易い。 こんな感じ。建設されたのは漢の時代だそうだけど、2000年以上前も、こうやってここを人が歩いていたんだろうなぁ。この中に人口1万人が住み、生活してたんだなぁ… ってか、2000年前にもうすでにこういう平屋じゃない建物ができてるってすごいよね…。まぁとは言え、実際それ以降も要塞として機能していたので「この」建物がどの時代のものなのかは分からんのですが。
ちなみに一番の見どころはこの中でも一番古い役所だそう。他の家もだけど、暑さを避けるための地下室などもついているようです。それはのちの時代に作られた高昌故城にはない機能だったらしい。 ってか、トルファンに来てからずっとだけど、なんていうか基本建材として使われるのが干しレンガなので風景が中国の遺跡じゃないみたい(笑)中東とか、ヨーロッパのような(笑) ここに漢族が生活している感じをイメージするのが結構大変でした(笑) 長いので次に続く。