弦楽器 自然のチカラを、未来のチカラへ
公式ハッシュタグランキング: 位 先日Eテレで「N響ザ・レジェンド〜あなたの記憶に残る名演奏〜」というのが放映されていたので録画し、先ほど観ました。
私にとって、N響アワーとか、芸術劇場といったクラシック音楽番組は本当に楽しみだったので、小・中学生の頃は欠かさず観ていたと思います。ビデオに録画して、好きな曲を何度も観たり。今ではインターネットで、どんな曲でもすぐに無料で聴けるのでそんな苦労は無いですが新聞で「うわっ、今日はこの曲が演奏される!」と確認すると、始まるまでとにかくワクワクしていたことを思い出しました。
特に「オーケストラ」というものに強〜い憧れがありました。中学生の時は吹奏楽にどっぶりと浸かっていた私でしたが最後まで本当に好きになることは出来ませんでした。どうしても
弦楽器主体の音が好きだったんですね。
N響ザ・レジェンドでは、さまざまな名演奏がダイジェストで聴けましたが最後はベートーベンの第九の第四楽章で締められました。最近あまり第九を聴いていなかったのですがあの第四楽章の、最初から合唱が入ってくるまでの部分がたまらなく好きです。美しいですよね。もちろん第一楽章からすべて、第四楽章の最後まで素敵な曲ですが。
弦楽器が「歓喜の歌」のメロディーを静かに奏ではじめ、その後入ってくるファゴットの対旋律が、ものすごく好きですあれを吹くためにファゴット奏者になりたい!と思ってしまうほどです。※ 動画の3分38秒くらいからですね
絶対に失敗しない弦楽器マニュアル
皆さんの身近のほうにイタリアの楽器があるのかもしれませんが、現代の楽器のルーツの一つを研究してみましょう。
こんにちはガリッポです。
前回はコンサートマスターの方の話をしましたが、
弦楽器について「どんなものが良い音なのか?」というのは無視できない問題です。私は楽器の音の優劣を決めることを嫌がります。なぜかというとこれが良い音という決まりが無いからです。
音が良いということを定めることができなければ勝負ができません。
勝負するにはルールが必要です。
音がどうだったら高得点が入るのかというルールが必要です。
誰しも同じように先天的に良い音を感じることができるでしょうか?
文化には後天的に学んでいく部分もあると思います。
小さな子供の頃には意味が分からなかったことも大人になって心にしみる感覚を感じることもあります。大衆文化なら口コミやメディア、消費活動を通して自然と培われていくでしょうが古典ともなるとやはり学ぶ必要があります。
言語を理解するようにそれぞれのジャンルには独特の味わい方のスタイルがあるはずです。それを理解していくことで「分かっていく」のです。現代の文化なら前後関係が分かっているのでただ感じるだけで良いでしょうが、古典の場合には過去の時代から切り離されて作品だけが今の時代にやってきます。前後関係も学んでいくほうが深く理解できるでしょう。もちろん今の時代に切り取って持ってきても通用するのが「普遍的な価値」という見方もできます。
弦楽器の音の良し悪しについては全くこの二つの見方があると思います。何の予備知識もなくただ音を聞いて生理的に良い音と感じるかどうかという評価の仕方と、名器と言われている楽器の音がどんなものか知っていてそれに近いかどうか評価する方法です。
前回の話ではコンサートマスターの人は名器の音を知っているので楽器を選ぶときにそれに近いものを選ぶという選考法になりました。その人は特別
弦楽器マニアではありませんが師事した先生や同僚などの影響もあってイメージが出来上がっていくのでしょう。ポッジのような戦後のイタリアの楽器では物足りなくなりオールド楽器に近いオーストリアのモダンの名器シュバイツァーを弾いています。
ヴァイオリン奏者やチェロ奏者なら楽器を借りて弾いてみる経験を積んでいく事があります。
ただしビオラの場合にはそれが難しいです。人によってサイズが違うので持ち替えて弾けないのです。
そのように
弦楽器業界にいるとオールド楽器の音が良い音だというのが常識になっていきます。そうなるとそれとは全く違う明るい「新しい楽器の音」は良くないものとなってしまいます。しかしながら学習しなければオールド楽器の音というのが分かるわけではありません。予備知識なく楽器を選べば「新しい楽器の音が好き」ということもあり得ます。私は否定しません。絶対に古い楽器の音が正しいと決めるわけにはいきません。
入手の難易度で言うとオールド楽器のような音の楽器を買うほうが難しいでしょう。新しい楽器のような音の楽器は店にたくさんあり値段も手ごろです。オールド楽器はとても数が少なく状態や出来栄えは様々で良いものはとんでもなく高いです。私が作ろうとしているのはそのような音の新作楽器です。
古い楽器と新しい楽器のどちらが優れているかという問いかけに対してはいろいろな答えがあります。何を良い音とするかによるからです。古い楽器のような音を良い音だと考えれば当然古い楽器のほうが音が良いことになります。予備知識なしで評価するなら新しい楽器のほうが音が良いと感じる人もいるでしょう。
私がそれを決めることに意味がないと思うのはそのためです。
私はオールド楽器のような音を目指して楽器を作っているので、本当のオールド楽器を使っている上級者からは「これ悪くないね」と高く評価してもらうことがある半面、大量生産品を使っている学生などにはまったく箸にも棒にもかからないということがよくあります。本来量産品からステップアップするはずの客層に全然わかってもらえないのです。すでに名器を持っている人に評価されてしまうのです。
上級者の場合には弓を的確に使うことができるのでほとんどの楽器は鳴ります。そうなると鳴るか鳴らないかで楽器を選ぶ必要がありません。だから私は「ひどくなければ何でも良い」と言うのです。上級者ならひどくなければ何でも鳴りますから。安価な量産品では演奏家の能力にリミットをかけているように聞こえます。
それに対して未熟な人の場合は鳴るかどうか(鳴っているような気がするかどうか)が重要になります。安価な楽器のほうが強く鳴っているように聞こえることがよくあります。そのような新品の量産楽器を選んで使っていれば次に買うのは戦前の上等な量産品です。次は戦前のハンドメイドの楽器で最終的にはオールド楽器に行きます。戦前の量産品は「やかましい」という意味では最強ですから新作のハンドメイドでは大人しく物足りなく感じます。
うちのお客さんで多いのはこのような流れで戦前の量産品から戦前のハンドメイドの楽器に買い替えるという人が多いです。そのためフランスやドイツなどの比較的安価なものが主流です。
日本の場合には新品の量産品から新品のハンドメイド〈イタリア製)で、よほどお金をかけられる人はその次がモダンイタリアという流れで偽物を買ってしまうのです。
こちらで新作のイタリアの楽器があっても、戦前の量産品と比べられると物足りないと感じるでしょう。
新品の量産品から新品のハンドメイドへの流れも全くないわけではありません。
音は好き好きなので質の良いハンドメイドの楽器を求める人もいるのです。
年にいくらかは売れるので私たちも少量生産で作っています。
もう一度まとめると
①予備知識なしに生理的に感じる良い音
②オールド楽器の音に近いかどうか
という音の評価の方法があると思います。
日本に限れば「明るい音が良い音だ」という営業マンの刷り込みもあります。
じゃあどっちが正解なのかと言えば、各自の自由としか言えません。
私個人としては両方を総合して判断するのが良いと思います。古い楽器の音を知ったうえで生理的に好きな音をイメージすれば良いと思います。
「古い楽器の音が正しい音だ」と思い込む必要はありません。たまたま弾いたり聞いた音が調子の悪いオールド楽器だったかもしれません。癖の強いものかもしれません。
子供の様な純粋さで物を感じる事も必要だと思います。
ウンチクを収集して通ぶっている人がいます。そういう人を見ると「ウンチクをたくさん知っていることが偉い」という競争しているようです。
集めた偏見によって素直に感じることができなくなっていることでしょう。
そのような噂話や書籍などは「これはウンチク好きの気を引きそうだな。」とすぐ分かります。内容が正しいかどうかの以前に「そのことに興味を持つべきか?」ということをまず問題にします。
「ひどくなければ何でも良い」「弾いて音を出してみなければわからない」これだけ知っていれば良いのです。ストラディバリでない楽器でもどんな音がするかワクワクすることでしょう。
興味を持つべきはウンチクではなく楽器そのものとその音なのです。邪道なウンチク好きは一瞬で見抜けます。「それを気にしちゃうか?」と気にすることが本質からかけ離れているからです。
古い楽器と言ってもオールド楽器とモダン楽器でもまた違いモダン楽器はダメなのかと言えばモダンにはモダンの良さがあると思います。オールド信者でいるためにこれを否定する必要もないです。
いずれにしても経験によって「良い音」の感じ方は変わってくると思います。
それが文化であり人格の成長なのです。
成長するために何事も鵜呑みにしないで自分で感じることをお勧めします。
リカルド・アントニアッジのヴァイオリンアマティ、ストラディバリ、デルジェズ以降クレモナから各地に散らばったこともあってクレモナの流派は細々となっていきます。ロレンツォ・ストリオーニを「最後の巨匠」だというよく分からないセールストークがありますがあれが巨匠だったらそのあとのフランスの人たちは神様でしょうか?
ストリオーニは面白い楽器で「ヴァイオリンなんてこんなんでいい」と教えてくれるものです。私の何でも良いという考えの元の一つです。ヴァイオリンなんて良くなくたって構わないという事です。それだけ適当に作ってある楽器です。確かにクレモナのオールド楽器の製作手法を用いて作っているのでモダンや現代とは全く違います。本当にいい加減なものです。楽器なんて音を出すためのものだから見た目なんてどうでもいいということです。音に関しても特にこだわっているとは思えません。私が聞いたものは音色には深み味が無くただ豊かに鳴るという印象を受けました。「ただ鳴る」ことは演奏家には歓迎されます。
ガエタノ・アントニアッジはクレモナのチェルーティ家の元で働きました。
チェルーティーやロータあたりもストリオーニとともに面白い楽器ですが意図がよくわからない楽器です。マンテガッツァ兄弟とチェルティー家くらいがミラノ近郊では残っていました。チェルーティも
弦楽器のモダン化の流れに多少影響を受けて行きました。先導して時代を作っていったというよりはフランスの影響を受けて作風を変えて行ったと言えると思います。フランスの圧倒的な組織力にはかないませんでした。
アントニアッジ家が面白いのは完全に近代化しきらなかったというところです。
一般的なモダン楽器とは雰囲気がだいぶ違います。
息子のリカルド・アントニアッジ作だそうです。
「…だそうです」というのはイタリアのモダン楽器だから怪しいものです。ひとまずそういう事にしておきます。私はイタリアのモダン楽器の専門家でも何でもないので分かりません。目利きに憧れても一般の人が分かるはずはないです、まね事はよした方が良いです。
大ざっぱに言うとアマティモデルに見えます。
裏板は木材のチョイスが独特です。メイプルでは無いでしょう。板目板の2枚板という珍しいものです。ポプラでしょうか?古いチェロなんかでは割とありますからそういうイメージなんでしょう。つまりオールド楽器に見せるアンティーク塗装のものです。
このような傷を見るとそれが人為的につけられたものだとわかります。私はアンティーク塗装で重要なのはわざとらしくしないことだと思います。本当に300年経っている楽器と全く同じにすることは不可能です。センス良くまとめていればその職人は一流の腕前です。
わざとらしくさえなければその楽器が古くなって本当に傷がついたときに自然な感じになります。わざとらしいと気になってしまいます。この楽器はまだ良い方です。
この辺の傷もすべてが同じです。作者が自分でつけた傷だと思います。最後の写真で右側の傷は2回同じところを触っているのです。1回目はうまく傷がつかなくてもう一度行ったんだと思います。私は以前傷の散らし方は夜空の星に似ていると話したことがあります。
パフリングもわざと汚くしています。全体的にそういう仕事のタッチなのではなくてそこだけガチャガチャとなっているのです。本当はうまい人がヘタに見せかけています。本来ならアマティはそんなことはないです。オールドのイタリアの楽器にはグチャグチャのパフリングの楽器がたまにあってそういう雰囲気が出ます。ガリアーノできれいにパフリングが入っていたらニセモノです。これは特定のアマティの忠実なコピーというよりは古い楽器の雰囲気を出したいという感じです。
「腕の良い職人=音が良い=値段が高い」という風にしたい人がいるのだと思います。古くなって木が痩せて隙間が空いてきたとかわけのわからない言い訳を考え出す人がいます。見たままそのままを受け入れましょうよ。そのほうがその楽器の真の姿を知ることができます。
これもグチャグチャにしてあるところ以外はきれいに入っています。コーナーはストラディバリのものとは違っています。近代の楽器製作では初めはストラディバリのスタイルしか教わらないですからよく知ってもいます、形もカーブの流れも綺麗です。エッジは丸くしてありこのような手法は流行してチェコのボヘミアの楽器は皆こういうのです。ボヘミアの楽器がイタリアの楽器に似ているのはこのような流行を取り入れたからです。私が見れば初めからこのように作ったのであって古くなって摩耗してこうなったとは思えません。
青線で示したところがうっすらとカーブしているのが特徴です。アマティなど古い時代にあるものです。このあたりは無頓着な人が多くてデルジェズなんかも無頓着です。量産品でこのカーブが納得できるものはまずないですし、腕に自信のある現代の職人でも同様です。ストラディバリはそこまでオーバーではないですが基礎があります。ストラディバリモデルの楽器はたくさんありますが私は納得いかないのがここです。
いずれにしても腕も目もよく、古い楽器の知識もあるものです。アンティーク塗装は楽器のことをよく知っているか試されます。同じ作者でもフルバーニッシュのものよりも値段が高いこともあります。
このスクロールも前回のフランス物に比べればそれほど完全なものではありません。アマティに忠実でもありません。アントニオ・グラナーニというオールド楽器に似ているようにも思います。形がどうこうというのではなくてタッチとか古いイタリアの楽器の雰囲気を出そうという感じでしょうか。アマティに似せようとして頑張った結果がこれかもしれません。本で調べるとこれと同じようなものは少しあとの時代のレアンドロ・ビジアッキに見られます。
過去の修理がヘタです。ペグの穴埋めがひどいですね。これをやり直すのは難しいです。
反対側
ビシッとしているというよりは何となくかわいらしい感じがします。古いイタリアの楽器のスクロールは堂々として立派だというよりは天使のようにかわいらしいと感じます。前回の現代のニセモノではペグボックスの幅も広く壁も厚く繊細な感じがしません。
これはアマティのモデルでアンティーク塗装が施されたものです。「イタリア人は志が高いからマネなんてしないんだ」なんてことを昔日本にいたころに聞いたような気がします。営業の人って事実とかは何でも良いんですかね?
19世紀以降にアマティのコピーを作っているのは他にチェコのプラハでホモルカ家もあります。私もアマティのコピーを多く作っているので気にはなります。19世紀以降のアマティのコピーを見るときに気にするのはどれだけ近代風になっているのかという点です。ホモルカも綺麗な楽器ですが本当のアマティと間違えるかというと違うように思います。きれいさが近代の基準でのきれいさだと思うのです。アマティの面白さは癖がかなりあるのです。と言っても当時は他がまだあまり無かったのでやりすぎというか極端なところに気付かなかったと思うのです。ホモルカでもちょっと垢ぬけてしまっています。癖たっぷりのコピーを作ると面白いです。にやけているのは私くらいかもしれません。本物のアマティは古さや値段によって貫録を感じるのでおかしなところも「そういうものだ」と有無言わせなくなっています。それに対してコピーを作ると全く違う時代のものが突然存在するのでとてもおかしく感じます。それを嫌って直してしまうのです。ちょうど円形のレンズの丸メガネをかけている人がいれば昔の人に見えるように切り取ってくるとおかしいのです。
このアントニアッジを見ても真っ先に思うのはアーチに独特の雰囲気があります。それがほかのモダン楽器とは全く違うのです。コーナーの感じも良いです。アマティモデルに独特のアーチ、それだけで魅力的な楽器に見えます。オールド楽器のような雰囲気がかなりあってありがちなものではありません。だからと言って音が良いということでもありませんがオールド楽器の模型の様に見ていて楽しいものです。
アマティのモデルはミドルバウツのくびれが大きい事もあるのですが、アーチもグワンとえぐってあります。オールドのイタリアの楽器でも全部そうなっているわけではありませんが現代ではあまり見られないタイプのものです。仕事のタッチやアーチの造形にオールド楽器の雰囲気があります。「オールド楽器ってそういう感じ」という雰囲気を感じさせてくれるのでありふれたものではないとわかります。
ロメオ・アントニアッジのヴァイオリン次は弟のロメオです。この楽器は以前も紹介しましたが手元に長い時間あったので詳しく調べてみました。
少し斜めになってしまいましたが、修正されたカタログ写真ではない工房のライブ感を感じて許してください。こちらはアンティーク塗装ではなく新品として作られたものでやはりアマティを元にしたモデルではないかと思います。これを見て同じ兄弟の楽器だと判断できるかというと微妙です。全く違うということはないけども全く同じということもありません。いかに作者を特定することが難しいかということです。
f字孔も加工がパーフェクトではないですがパッと見たバランスは良いです。
こちらも裏板のチョイスは板目板で一枚です。
ボタンの形やサイズがさっきのものと似ています。これが全く違ったら怪しいものです。
すごく完璧ということはないですが丸みを帯びているのもアマティの特徴です。
コーナーはさっきのものほどエレガントではなく特別どうってことは無いですが、おかしくもありません。細めの先端はフランスのストラディバリモデルとは違います。
年輪の木目のところが明るくなっています。本来は逆です。裏板を着色した時に着色料を吸い込みにくい木目のところが明るくなっているのです。アンティーク塗装をやっていると着色するのが当たり前になります。
スクロールも特別うまいという感じはしません。ちょっと縦に長い感じなのはアマティの影響なのかもしれませんが、単にきれいに丸くできなかったのかもしれません。フランスのものならもっときれいなカーブになっています。
センターラインのところにコンパスポイントと呼ばれる点があります。
さっきのものと同じ場所にあるかというとはっきりよくわからないですね。
形も同じではありません。
ロメオもいろいろな楽器を調べてみると完璧に全く同じものを作っていたというよりは緩くやっていたのだと思います。スクロールは寸分違わぬ物を作っている人もいればものによって全然違う人もいます。技術が低い人の場合は同じものは作れないです。スクロールを見ても余計わからないです。
このロメオのアーチには独特な特徴があります。
これはリカルドの方です。特に駒より下を見るとテールピースの下の空間がロメオのほうが開いています。駒の高さやナットの高さも影響しますが、明らかにロメオはテールピースの下のところのアーチに膨らみが無いのです。指板側もそうですし裏板も同様です。
かなり大胆に造形しているように見えます。
こういうのは何か決まった寸法があるのでは感覚を頼りにフリーハンドで形作ったと思われます。なぜこうなるかと言えば癖です。
ただしミドルバウツのえぐり方は同じようになっています。ロメオのほうがもっとオーバーです。全体に微妙な加減が無くオーバーアクションな感じがします。
これは今修理しているミラノ派と思われるチェロですがやはり現代の造形とは違います。これは見習いの弟子が作ったようなレベルのチェロですがフランスのように教科書通りきれいに作るとかドイツのように理屈に従って作るというようなものではなくて感覚で作っていく感じです。
品質自体は一番安い中国のチェロといい勝負ですが明らかに手作り感があります。
こんなものは大量生産の流派にはないです。だからイタリアの楽器と言われても説得力があり、「interesting cello」となるのです。こんないい加減なものを作るのはイタリア人くらいなのです。信じられないです。インクレディービレ!!
イタリア人の職人と話をしていたら昔はワインを飲んで酔っぱらって作っていたのではないかと言っていました。私がイタリアのような楽器を作るにはそのようなドーピングも必要かもしれません。
イタリアの楽器は人間臭くて面白いです。
人間のダメなところも素直に出ています。
本当の意味で「ヒューマニズム」です。
これをイタリアの優れたモダンチェロだと言われて適当なラベルを貼られたものを700万円とかで音大生の子供に借金までして買った人は笑ってはいられません。高すぎる値段はなにもかも台無しにしてしまいます。
板の厚さと音まずはリカルドから
次にロメオです。
フランスの楽器に比べるとバラつきが大きくて大きな刃物でザクザク削って行った感じです。ロメオではアーチの外側でテールピースの下のふくらみが低くなっています。中をくりぬくときに感覚でやってると薄くなりすぎてしまうのはわかります。はっきりとしたグラデーションはありません。所々に急に厚いところや薄いところがあり、左右が違ったりします。バラつきの感じが両者で似ています。全体的なスタイルも似ています。全く同じではないけども似たようないい加減さがあります。
音についてですがリカルドの方は同時にいろいろな音が響いているように感じます。響きが豊かだとも言えます。はっきりしないとも言えます。高音も芯は柔らかくはないのですが他の音にまぎれてきつさは目立たなくなっている感じです。暗い音も明るい音も同時に鳴っているので特別暗いということもありません。しかし新品のように明るいということもありません。
ロメオのほうはもう少し暗くて響きも少なめです。
それでも暗い音も明るい音の同時に出ていて暗い一辺倒ではありません。どちらかというと暗い方です。
コンパクトな鳴り方でいわゆる室内楽的という感じのものです。枯れた味も感じます。
ただスケールの大きいフランスのモダンヴァイオリンの様なソリスト向きのものではないと思います。
そういう意味でもモダン楽器らしくないです。
じゃあ、これがイタリアの楽器の音かと言われればよくわからないです。他の国の楽器と明らかに違うという感じはしません。値段はかなり違うのにです。
ミドルバウツの幅の狭いアマティのモデルに極端なアーチが加わることで窮屈になっているように思います。
ロメオの持ち主の人は他にオーストリアのマティアス・ティアーというオールドヴァイオリンを持っていますが、こちらはぷっくりと膨らんだアーチのものでゆったりとしています。アーチは高いのに豊かな鳴り方がします。高いアーチのオーストリアのオールドヴァイオリンでも室内楽的なものもありますがティアーはゆったりしてます。
アーチングに特徴があって見た目には非凡なものを感じさせるアントニアッジですが音響的にその必要があるかというとわからないですね。普通でいいんじゃないかとも思います。オールドでもストラディバリやベルゴンツィ、デルジェズなどはそんなになっていませんから。
リカルドの方は響きの豊かさでボリューム感があって気にはなりませんでした。
板の厚さアーチの造形法は近現代の一般的なものに比べると不規則な要素が多いと思います。それがもしかしたら色々な音が同時に鳴る原因になっているのではないかとも考えられます。フランス流のほうが純粋で済んだ音であるのと同時に極端なキャラクターが出るように思います。
結論付けるのは早すぎます。今後の調査が必要です。
ただ初めに言ったように本当にこれらがその作者のものなのか100%はわかりません。この両者を見ると全く別の流派や工房のものという感じはせずに同じような雰囲気があります。仕事のタッチやアーチの雰囲気、上部のブロックやライニングの幅や材質もにています。板の厚みの雰囲気もよく似ています。でも完全に同じとも言えないです。全く違うことはありませんが全く同じということもありません。ただ前回紹介したロメオ・アントニアッジラベルのものは明らかに新しい違う感じがします。ミラノの流れを受け継ぐクレモナ系のものでも全然違うと思います。
アントニアッジは多くの場合自分で独立していたのではなく雇われ職人でした。
レアンドロ・ビジアッキの工房や大きな楽器店で働いていた時期が長いです。ビジアッキの師匠でもありたくさんの従業員を育成しました。そのため同じような作風の楽器もあるはずです。
アントニアッジ本人の名前が楽器についていなくて後の時代にコピーのラベルが貼られていることもあると思います。
このようなミラノの作風はクレモナにも受け継がれ今日に至っています。さっきも言ったように形骸化もしています。これはどの流派でも起きることです。世代を少し重ねると途端に変わって行ってしまうのが
弦楽器で、教えるのが難しいのです。規則で定めるとドイツのようになり、イタリアのように感覚に頼るとすぐに廃れてしまうのです。
私なんかも教師としては最悪でしょう。
「そんなの何でも良いから感覚で良いと思うように作れ」と教えられても生徒はちんぷんかんぷんで規則性を作り寸法を与えたほうが分かりやすいです。教えられた方も良い先生に教わったと信じて一生を終えます。
イタリアの楽器製作フランスの人とは仕事のタッチが違います。これらのアントニアッジにはアマティのモデルを採用していること、アーチやコーナーにカーブや形の美しさがあると思います。ただし仕事のクオリティ自体はそれほど高くありません。美しいというのは主観的な事で誰にでも感じられるものではありません。ただ無神経に作っているのではなくて眼で見て作っているのです。その人の感性が反映されています。
それに対してフランスの楽器製作では優れているものと平凡なものの差を大きくしようとしています。ビジネス用語で「差別化」というものです。優れたものは明らかに優れていると実感を持てるように見事さを強調しています。それに比べるとイタリアの楽器はことさらに良いものであるということ強調していないように思います。そのためイタリアの楽器は良い楽器なのか悪い楽器なのかわかりにくいのです。そこに付け込むのがニセモノを売る商売です。
良い楽器であるということがはっきりわからないのに値段は異常に高いのです。
イタリアの楽器でよくあるのは「この楽器は良くできすぎているのでニセモノだ。」ということです。フランスの楽器なら一流の作者の楽器は間違いなく良くできていて2流の職人には到底まねができないものです。良くできている楽器があればイコール高い楽器ですが、イタリアの場合にはさほど良くない楽器でも作者が有名なために値段が高いことがあります。
イタリア人はフランス人のように良さを強調することを悪趣味と考えて嫌っているかというとそんなことはないと思います。かれらなりに頑張った結果だと思います。というのはもっと悪いイタリアの楽器よりは良いのですから。イタリアの中では良い方なのです。イタリアの中だけで楽器を選ぼうという人が多くいるのでそれらが高い値段になるのです。それにつられて悪いものまで高くなっていくのです。
音響的な話になると板の厚さにバラつきがあることは全く影響がないとは考えられません。フランスでも0.1mmまで正確ではありませんがバラつきはイタリアのものよりははるかに少ないです。
これがドイツのように机上の空論で楽器を作っているともっと理論に対して正確ということがあるでしょう。フランスの人たちは理屈じゃなくて音を追求してきたので意味がないということは分かっていたと思います。
イタリアの楽器製作を見ていると雑な仕事でも「これくらいならいいか」という範囲に入ってきさえすればそれで十分だと考えられます。同じような雑さでも板が厚すぎたり薄すぎたりするとダメなのです。所々厚すぎたり薄すぎぎたりするのは大丈夫で、全体が厚かったり薄すぎたりするとダメなのです。雑か丁寧かは問題ではなくひどくない範囲に入っているかということが重要だと思います。
ロメオ・アントニアッジも表板のロワーバウツの中央が極端に薄くなっています。これを何か計算してわざとやったと考えるようでは頭がおかしいです。普通に考えれば無造作に仕事をしてやっちゃったということです。でも全部が薄いわけじゃないので何とかなっています。そこが薄いとやはり力のかかり方には影響があります。すでにそこの部分のアーチは変形しているように見えます。これもイタリアのオールド楽器のアーチがボコボコである一つの原因になっていると思います。だからと言ってフランスの楽器が変形しないということはありません。プレスの量産品はもちろん変形しやすいですがそうでなくても初期のモダンヴァイオリンのニコラ・リュポーでも変形しているものがあります。不規則な変形を起こしやすいといえると思います。変形したからと言って必ず音が悪くなるというものではなくそれで力のバランスが取れているとも言えます。変形してなじんでいるという面もあります。駒の周辺など重要な部分だと問題もあります。
ともかく無造作に仕事をしているようなのに楽器としてこうあるべきという範囲に入っています。どれくらいになっていればいいかということを大雑把にわかっているということが
弦楽器を分かっているということです。具体的な数字ではなくて「こんなもんなら大丈夫だろう」という風につかんでいるのがベテランの職人なのです。一見さほど腕が切れるように見えなくても「さすがに作り慣れているな」とベテランの職人の楽器を見ると感じます。
楽器製作を学び始めた人は細かい具体的なところだけを見て「大したことないな、俺のほうがうまい」とうぬぼれてしまいます。この様な理解で一生を終える職人は多いです。音が良い楽器があったときに調べてみると特別なことは何もなくて「こんなもんか」という範囲に入ってるとわかるだけです。何か秘策があるわけでもなく、特別高いクオリティに加工されているものばかりとは限りません。高いクオリティでも音が良いものもあるのです。だからひどくなければ何でも良いしか言えないのです。
ひどくなければ良いと言っても音はなぜかわからないけども皆それぞれ違います。
楽器を買う人はそれらの中から試して気に入ったものを選ぶしかないです。自分が弾くのであれば自分が気に入ったものの方が楽しいでしょう。プロなら客に聞かせるという仕事ですので「業務用」という選び方もあるでしょう。それでも自分が好きな楽器を弾くことが自分の演奏スタイルだとも言えます。ファンはそれが好きでファンになるのです。オーケストラなら真面目な人は指揮者の求める演奏をしやすいものが優れた楽器と言えるでしょう。一人くらい・・・と自分の好きな楽器を弾くというのも良いと思います。
国の話をしてきましたが、典型的な考え方の話であって個々の楽器になるとさまざまで外国で修業したり移住した人もいます。私は日本人ですが他の日本人と同じ音ではありません。どの考え方で作られてもひどくなければ何でも良いのです。
技術者として興味深いのは作りにバラつきがあると音がどうなるのかという点です。
このように仮説を立てることができます。
「構造にバラつきが少ないと音が純粋になりやすく、バラつきが多いといろいろな響きが混ざった濁った音になるのではないか」というものです。
現にそのような傾向は感覚として感じています。今回の楽器でもそのような印象はあります。
どっちが良い音なのかとなると、それは弾いた人がどう思うかという話です。耳が良い人は濁った音が嫌いということもあるでしょうし、逆に濁っていても音感が良く惑わされないので問題がないということもあると思います。
実証していくには同じモデルの楽器で一つは板厚をバラつきを持たせ、もう一つは均一に仕上げる。それを演奏家に試してもらって感想を聞く。これを多く試していけば見えてくるかもしれません。私の課題としましょう。
イタリアの楽器とフランスの楽器にはこのような違いもあるということです。
まともなものならどちらも「ひどくなければ良い」というハードルを越えているものです。音はそれぞれの楽器で違うので好みで選ぶしかありません。少なくとも初めからどちらかが優れていると思い込んで候補から外すのはばかげています。
現実の問題は値段がフェアじゃないということです。
フランスのものならはるかに格上なもの、古い時代のものが競合することになります。そうなるとイタリアの楽器はかなり厳しくなります。ひどくないということで言えば、2流以下のフランスの楽器やハンガリー、チェコ、ドイツの楽器なども競合してきます。ドイツならオールドが競争相手になってきます。イタリアの楽器にとってはかなり厳しい戦いになりそのことがクラシックの本場で使っている人が少ない理由になります。現にロメオ・アントニアッジの所有者の人ははるかに安いオーストリアのマティアス・ティアーを持っていてそっちの方が明らかに豊かな音がします。
イタリアの楽器にとっては高すぎる値段によって実力で評価される場合に不利になっています。一方で「値段が高い=良いもの」と思い込んでいる人にとっては有利になります。実力が無くても売れます。
先日もあるチェロ教師の人がいろいろなチェロを試していました。
これは気に入ったとかこれは違うとか話を聞いているのですが、試奏を続けるほどその人が求めている音が何なのか全然分からなくなっていきます。占い師みたいに心が読めれば営業マンとして良いのでしょうが私はダメです。
おそらくその人は基本的に荒い音は嫌いできめ細やかな音が良いのだと思います。ただ「これも良い」と言ったものが荒い音だったりします。必ずしも理想が一つあるのではなくて弾いてみたら「こういうのも良いかもしれない」と荒さを上回る魅力を別の部分に感じているのだと思います。
音の好みは人によって大きく違います。
しかし「あなたの好みは変わっていますよ」と言われると良い気はしないと思います。
例え少数派でも「本当にわかっている人は皆そのような音が良いと言います。」と言われればうれしいでしょう。
即座に好みを理解して、自分はそうは思わなくても「分かってますよ感」を出して共感している体裁をとって行けば優秀な営業マンになれるでしょう。
私は占い師の才能がないのでそのようなことはできません。
そんなに気の利いたことを即座に言う事ができません。後で考えればそう言っておけばよかったとわかっても現場でそれは無理です。
本人もよくわかっていないということがあるわけですから、わからなくて当然です。
そんなわけで実際にはゴリ押しはかなり有効だと思います。
「こういうのが良い音ですよ」と押していけば、そうなのかなあと思ってしまいます。何年も弾いていると「やはり違うな」ということになって私のところの相談を寄せてこられるわけです。だから優秀な営業マンでなくても良いと思っています。
ともかくフランスとイタリアの楽器製作は大富豪以外の演奏家と職人にとって永遠のテーマです。ヴァイオリン製作コンクールはフランスで19世紀に行われていたもので評価の基準が今のコンクールの基礎になっていると思います。でも音だけで言うと雑に作ってあっても範囲に入っていれば良いのです。
良いものでもそれが良いものだと強調されていなければはっきりわからないという事があるのです。
人生の選択でも人の評価でも、もちろん音楽作品でも同じことがあると思います。
それに気付けるかどうかということですね。
職人としてはひどくなければ何でも良いので自分が好きなものを作れば良いと思います。
イタリア人の考え方に同意します。買う人の好みと一致すれば成立です。
私は凝ったものの方が作っていて楽しいです。
快楽主義者なので自分のすごさをアピールしたり自分の正しさを主張する楽器作りは好きではないです。ドイツのマイスターのように「正しい理屈で作っているので私の楽器は優れたものだ」と言うのは好きじゃないです。
私は雑に作るのは好きじゃないです。そういう意味では雑に作る才能が無いと言えます。それを人に言うと「そんなのは才能じゃない」と言われますが、自分に無いものとして無造作に楽器を作れる職人も尊敬しています。アルコールによるドーピングが必要かもしれません。