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弦楽器のマル秘激安情報

NEXTブレイクは弦楽器で決まり!!

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NEXTブレイクは弦楽器で決まり!!

弦楽器は人気商品の産業革命




友人が、「多家」伝承の舞うと死ぬという「採桑老」というのがある
と教えてくれました。
今回「多」の地区周辺をおとずれ、


ブログ☞奈良田原本「太安万侶」「鏡 織物 雅楽の聖地」訪れる
として、ブログでまとめました。

「鏡 織物 雅楽の聖地」です。
実は、先日北九州の旅を終えたばかりで、銅の信仰や秦王国、織物や七夕、修験の神仏習合など重なる部分が多いのですが「雅楽の聖地」となれば、やはり大和国
中国から渡ってきた信仰は、日本文化として花開いたのは大和なのでしょう。



▶日神祭祀を行っていたのは多氏で、多氏に協力していたのが秦氏であるという。
秦楽寺のある秦庄はかつて多郷秦庄であった。
秦楽寺境内の笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘)も笠縫邑の比定地でもある。

▶多氏と秦氏の関係は
小子部連だけでなく、秦の民らが伽耶・新羅出身の人々が住んでいた「古代闘鷄の国」闘鷄の国造が、『古事記』によれば、多氏と同じ、初代神武天皇の皇子神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする。





織物・養蚕
▶世阿弥は、味間の補厳寺(ふがんじ)に土地を寄進し、夫婦の菩提寺にしていた。

世阿弥の父観阿弥は、妻の実家の地に観世の座をつくり、大和に移って結崎に座をつくった。
この結崎は、補厳寺開山了堂の出身地で、この地に式内社の「糸井神社」がある。
糸井神社を祭祀する糸井造と近くの三宅にいた三宅連は『新撰姓氏録』によれば、新羅国王子天日槍を祖とする。

観阿弥の結崎座、世阿弥の補厳寺の所在地の結崎、味間の地は、いずれも伊賀服部氏と関係の深い地である。親子の原郷は伊賀である。
「糸井」の糸、「服部」の服はいずれも織物に関わる。糸井明神は「絹引神」ともいわれる。
村屋坐弥冨都比売神社には、境内摂社服部神社がある。

秦氏が養蚕に関わる事はよく知られている。
雄略紀に、雄略天皇が秦酒公に命じて、秦の民らに桑を植えさせて蚕を育て、絹をつくらせたとある。
観阿弥は伊賀の服部氏の出自であり、伊賀の服部氏は、秦酒公の末裔と伝承する。



◉比売久波神社(ひめくわじんじゃ)
 比売久波は「姫桑(ひめくわ)桑の葉を神体としている。
 天八千千姫命は、天棚機姫命の別名。いずれも織物に関係する神

◉糸井神社(いといじんじゃ)
 綾羽明神 呉羽明神を祀る

◉春日神社 千代神社
 春日神社本殿右の千代社が式内社・千代神社の論社。
 祭神は、八千々姫命

◉池坐朝霧黄幡比賣神社(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)
 御祭神 天萬栲幡千々比賣命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと) 菅原道真公

◉村屋坐弥冨都比売神社 (むらやにますみふつひめじんじゃ)境内摂社服部神社
 境内摂社服部神社大安寺に服部氏が移住しており、その祖をまつったもの






多氏、秦氏、雅楽と桑の信仰
比叡山文庫所蔵の『叡岳要記』に、初度延暦寺供養が延暦十三年に行われた。ここに「楽人六十六人 秦氏人也」とかかれ、奈良時代に公式の行事に参加する楽人の全ては「秦氏人」であった。
「楽人」は被差別者と見なされていた。
これは「秦氏」ではなく「秦氏人(秦の民)」である。

被差別部落については、同じ秦氏関係の白山信仰で少し書いた
ブログ☞白山信仰の謎⑫〜被差別部落民の祈り〜

江戸時代に関八州の被差別民を支配していた浅草弾左衛門(明治期まで14代続く世襲制の役職)は、家康の江戸入府の際に「自分は源頼朝から以下の二十八座の取締を任じられた古文書を所有している」と訴え、関八州の頭目と認められました。この二十八座の中には猿楽、舞々、獅子舞、傀儡 師などがある。

▶「伎楽」の楽人が属した最初の寺の三寺のうち、「太秦寺(広隆寺)」と「天王寺」は秦の民が楽人としれ奉仕していた。
天王寺楽人は奈良朝において、国家的教習の携帯で雅楽寮が設けられた。
天王寺楽人は「秦氏人(秦の民)」で差別されたが、「楽人」の多氏は差別はされていないと言う。


▶四天王寺の楽人と楽家多氏
林屋辰三郎は、四天王寺の楽人は雅楽寮の楽家多氏と親しかったという。
これは、楽家多氏が伝えていた曲を四天王寺の楽人が相伝していった例として『鳳凰笙伝承相』に載る「採桑老相伝」の系譜を示している。


▶多家が伝承した 舞うと死ぬという雅楽「採桑老(さいそう ろう)」
多家は、古事記を書いた太朝臣安万侶が有名ですが、
宮廷楽人として多家はあり、神楽歌・舞を伝え口伝によるところが多かったという。
「採桑老」は、唐のころに作られたという説や、百済国の採桑翁をモデルに作られ、用明天皇(聖徳太子の父)の御代に大神公持(おがのきんもち)が伝えたとなどと言われている。
その後、京方(10世紀ごろより、京方・天王寺方・南都方の3つの楽所がありました)の多家(おおのけ)が伝承しており、康和2年(1100)に多 資忠が山村正連に殺害されて一時断絶しました。
しかし、堀河天皇が天王寺方の秦 公貞(はたのきんさだ)に命じて継承させ、資忠の子 近方に伝えられました。

不老不死の桑葉を求めてさまよう老人が、次第に老いてゆく姿をあらわした曲だそうで、これを舞うと三年以内に死ぬと言われ、江戸時代には失伝しすでに演じられなくなったそうです。


▶「カタリゴト(古代芸能)」の家 多氏
山上伊豆母氏は、オホ(多)朝臣は古くから宮廷芸能(大歌所・雅楽寮)の要人を兼ねながら、古代伝承を伝えていた。古代オホ(多)臣族とは呪禱の「カタリゴト」の氏族であったのではないか。「カタリゴト」は王権祭儀に関わる『古語』や『神語』であり、それらの奏上が「コトノカタリゴト(古語継承)」だといい、「コトノカタリゴト」の家が多氏だという。この「カタリゴト」に節がつき、歌となり、さらに舞が加わって「古代芸能となり、宮廷に置ける『神楽』の祖型になったという。平安朝以降、多氏は雅楽の家であった。


▶林屋辰三郎は、四天王寺の楽人は雅楽寮の楽家多氏と親しかったとのべたが、奈良県磯城郡田原本町の秦庄は、多神社のある多郷がある。古く楽戸郷としてしられた森屋郷の秦楽寺もまた多村秦ノ庄に存している。この地理的環境において、これとおそらく深い関係をもって存在した物と考えられると述べている。
これに追加するのならこの地には「織物・養蚕」も伝わっている。
ここでキーワードとして、多氏、秦氏、桑☞雅楽「採桑老(さいそう ろう)」



▶中国 桑信仰と魔よけ
雷を鎮める俗信は全国共通で、呪術は「くわばら」をひたすら唱える。
「くわばら」とは、 漢字で「桑原」と書き、語源は中国語である。桑原は中国では、絹をとる蚕の餌を栽培 する桑園を意味する。

絹は古代中国では、最高級の繊維とされ、衣服に用いる。桑原は京都に実在する地名で、桑原には落雷しないという俗信がある。古代中国では、雷は農耕と強く結びつき、御霊(ごりょう)信仰を発展させた。御霊信仰は、不運な死に方をした人や冤罪で斬首された人が、祟りで雷や疫病を発生させるという。
ブログ☞怨霊と陰陽師と密教

桑は扶桑の信仰に見られるように、陽の精をあらわす神木でもあった。桑を若木というのは、桑が生命の木、不死の木とする信仰があったと考えられます。


▶黒塚古墳
黒塚古墳(くろつかこふん/くろづかこふん)は、奈良県天理市柳本町にある前期(3世紀末頃)前方後円墳。33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名。
黒塚古墳では、桑(クワ)の木を刳り抜いて木棺を造っていた。石室内におさめられていた木棺は、クワ属の巨木を使用した長さ6.2m,最大直径1mを超える割竹形木棺である。


桑信仰と魔よけ 多氏「採桑老」





多家伝承の舞うと死ぬという「採桑老」


「不老不死の桑葉を求めてさまよう老人が
 次第に老いてゆく姿をあらわした曲」


▶「舞うと死ぬ」という伝承
『教訓抄』の「採桑老」の項から、いくつか抜粋してみる。
< 採桑老  中曲 別装束 古楽
 唐作『操桑子』。其躰老人、携杖着紫浅袍、微々行。身体如不耐人。>
<多資忠ウタレタリシ時、此曲絶之。以勅定召天王寺舞人秦公貞、近方所被習写也。>
<一説 三十性方静 四十気力靡 五十始衰老 六十行歩倚 七十鬢色白 八十座巍々 残九十百ヲバ不詠。イマ(忌)ウユヘト云。>
…と、「九十と百の歌は、不吉だから歌わない」と書かれてある。
 鎌倉初期において、すでに『採桑老』の歌は不吉とされていた。


▶昭和2年に刊行された『舞楽図説』には、
<採桑老…(中略)老人の帽後に笹葉を挿むは桑葉に擬したる者なるべし。鳩杖をつき行歩に堪えざるさまして舞ふといふ。
 三十情方盛 四十気力微 五十至衰老 六十行歩宣 七十杖項栄 八十座魏々 九十得重病 百歳死無疑
 此詠も微聲に唱ふるよし、但し九十百歳の両句は忌みて歌はざるを、古よりの例とすとかや。>
<採桑老も胡飲酒(こいんじゅ)と同しく、多氏伝家の楽曲なり。
寛弘年間、草合のおり勝負いまだ分たざるに、多好茂、右方勝てりと叫びて落蹲納蘇利(なそり)を舞ひしに、摂政の大臣道長、奇怪なり其舞人からめよと申さる。好茂驚き舞装のままに馬に打乗り直走りて天王寺に逃れ遂に帰らず。
此時、採桑老を天王寺に伝へたり。其後百年を歴て、曾孫資忠に至り、康和二年、同僚山村政貫に殺され。二子忠方十六近方十三に猶楽を習はざれば、此伝は絶ゆ。堀河帝これを惜ませ給ひ、天王寺楽人、秦公貞に命ありて、採桑老を近方へ伝へ返さしむ。是より胡飲酒と共に、多氏の家舞は再続せられたり。(以下略)>

▶唐の頃に作られるといい、また百済国の採桑翁が老いて鳩杖を取るその屈んだ姿を舞にしたもので用明天皇(在位585~587)の頃に大神公持(おおがのきんもち)が伝えるともいいます。

▶この舞は多家が伝承していましたが、康和2年(1100)に多 資忠(おおのすけただ)が山村正連に殺害されて一時断絶した。しかし、勅定をもって天王寺の秦 公貞(はたのきんさだ)より資忠の子 近方(ちかかた)に伝えられた。
詠の90歳・100歳の部分は不吉なため常に唱えられなかったといいます。その詞のためか『この舞を舞うと数年後に必ず死する』といわれ舞は伝承されなかったという。


採桑老(さいそうろう)=採桑子
唐楽、黄鐘調、破、中曲、早只拍子、拍子十、古楽。舞あり(舞人1人)。
 用明天皇(在位585~587)のときに大神公持がはじめて天王寺の楽として伝えたので、高麗楽であるという説もある。能の翁を思わせる老人の面をつけ、牟子(むし)という頭巾の後に笹の葉をさして白の直衣に紫の袍という採桑老用の装束を着る。
下鞘(しもざや)と薬袋(やくたい)を腰に下げ、鳩杖をつき、係物という介添人に助けられながら登場。
百済の国の採桑翁が鳩杖をもち、老いた体で舞った姿をあらわしたものといい、介添人の肩にすがってようやく歩くという舞振りもある。
この舞は久しく絶えていたが、昭和37年(1962)名古屋の羽塚賢子氏が復活上演した。多家の家伝の舞であったが、一時は天王寺に伝わり、堀川天皇(在位1086~1107)の命により天王寺の楽人の秦公貞から多近方に伝え返したという。
舞楽のときは、調子(出手)、当曲、詠、音取、当曲、詠、音取、当曲、上調子(入手)と奏され、詠の部分では、舞人が30歳から100歳まで人間の老いていく姿を10歳刻みに語る。また調子の所では「安摩」と同様、鹿婁(ろくろ)乱序を奏する。番舞は「新靺鞨」。



▶「採桑老」の老人は、「鳩杖」を持っている。
鳩杖というのは、てっぺんに鳩の作り物がつけられている杖のことを言う。
これは元々、高齢になった重臣に「鳩杖」を贈るという、古代中国の伝統が起源である。
日本でも近年まで、宮中では風習が残っていたようだ。→鳩杖の歴史
なぜ「鳩」なのかと言うと、「鳩は噎せない」という言い伝えがあるそうで、「物をのどにつめないように」という意味合いがあるのだそうだ。
しかし、「鳩杖」についても、今ひとつ分かっていないのが現状らしい。


▶『四天王寺舞楽之記』
陰暦2月22日の聖霊会で舞われており、四天王寺「聖霊会」とは、聖徳太子の命日に行われる法会で、現在は4月22日に行われている。
他の場では舞われなかったらしい


▶多家の独専物
雅楽的音楽研究書によると
尸は「朝臣」。古くは太、意富、意保、於保などとも書かれたが、のち「多」に統一された。家領の郷名をとり、「大沢」の俗称天文頃(16世紀の中頃)まで用いたこともある。名乗通字は嫡流系は「忠」、庶流「久」、曾庶流系(断絶)は「好」、神楽歌、神楽人神、和琴、右舞、笛を主業とし、特に神楽歌では他姓では参加出来ない多家の独専物。江戸期以降に笙や篳篥を兼ねる流派も出た。

多家は、「採桑老」と「胡飲酒(こんじゅ)」の二つの秘曲を相伝していたという。
当主を継いだ 政資(まさすけ)が、秘曲の一つ「胡飲酒(こんじゅ)」を
その弟が 秘曲のもう一つ「 採桑老 」を継いでいたという。
「採桑老」を舞ったものは、三年以内に死ぬ
といった伝承は、こちらの「多資忠・節方殺人事件」などとの関わりからかという説もある。






中国 桑信仰と魔よけ
▶雷と桑
〜JA愛知東のHPより〜
雷を鎮める俗信は全国共通で、呪術は「くわばら」をひたすら唱える。「くわばら」とは、 漢字で「桑原」と書き、語源は中国語である。
桑原は中国では、絹をとる蚕の餌を栽培 する桑園を意味する。絹は古代中国では、最高級の繊維とされ、衣服に用いる。
桑原は京都に実在する地名で、桑原には落雷しないという俗信がある。古代中国では、雷は農耕と強く結びつき、御霊(ごりょう)信仰を発展させた。御霊信仰は、不運な死に方をした人や冤罪で斬首された人が、祟りで雷や疫病を発生させるという。

日本では、平安時代に菅原道真の御霊が祟って落雷を起こすと信じられた。菅原道真は、時の権力者の藤原時平により、太宰府に左遷され憤死した。菅原道真の怒りを鎮めるため、道真を北野天満宮に祀った。菅原道真は、京都市の桑原に領地を所有していたが、桑原には落雷しないという俗信が広まった。雷が発生したとき「くわばら、くわばら」と、呪文を唱える俗信が全国に広まった。

菅江真澄は、江戸後期の民俗学者であるが、東北を旅行し、雷鳴が始まると、髪に桑の葉をさし、桑を雷よけに使うと報告している。

奥三河では、家の周辺に桑の木を植えれば落雷はしないという伝承がある。そのため、屋敷木として大木になった桑がある。

桑の木は成長が早く、木目が美しいので、碁石を入れる碁笥を作る。奥三河の旧家には、家の周辺に桑の大樹があるが、昔に雷よけとして植えたことを知る人は少なくない。東栄町に桑の大樹があるが、山村では雷の呪術が盛んであった。

稲妻が走ったら裸の子どもに腹巻きをつけよ、との俗信は全国にある。落雷で亡くなられた者は、臍が無かったという滑稽な話もある。

毎年、区民の祭が行われた。祭の祝詞は「くわばら、くわばら、くわばら、雷神様、稲の豊作をお願い申す」とある。


この意味するところは、なんとなく私の経験から分かる所があるんです
ブログで少し書いた事もありますが、私は幼少時、鹿児島の島のてっぺんにじぃさんが開拓した所で住んでいました。(いわゆる原始生活ね)
じぃさんがした事は、まず杉の木を植えて台風の風よけにしたの
鹿児島は台風の通り道で、それは凄いのよ 雷(神なり)もね〜
養蚕もしていたので、桑をうえていたのよ、その蚕を食べに大きなウシガエルがよく来るのよ天敵ね。このウシガエルが台風後にお腹を出してひっくり返っている姿をみて、幼少の私は「雷様だ」と驚いたの、だってウシガエルのお腹には「へそ」がなかったから、「雷様にへそをとられる」といった伝説を信じてたのよね〜
今でも、その話を親戚が集まると笑い話にだされるわ
「桑の木を植えれば落雷はしない」といったことも考えて、じぃさんは養蚕を取り入れたのかな?
じぃさんは村長的な役目で、村人が意見を聞きに下の村から道なき道を上がってきていたのよ。



▶古くは桑が悪夢消滅の草木であった。
桑は蚕の食物であり、悪夢を桑の葉に付着させ、蚕に食べてもらうことで悪夢を消滅させるというのがその原義にあったのではないか


▶桑の葉は蚕の飼料だから、イタコの「おしら様」は桑木で作る。


岩手県遠野市の観光施設「伝承園」の御蚕神堂(おしらどう)には千体のおしら様が展示されている
東北・関東・中部地方の民間で信仰されている神。東北では,桑の木などに男女や馬などの頭部を彫り,衣装を着せた30センチメートルほどの偶像。農神とする所が多い。いたこなどの巫女(みこ)が祭文(さいもん)を唱えてまつる。関東・中部では蚕神とする所が多く,桑の小枝を持つ女人像の軸絵で表される。おしらぼとけ。



▶桑木を死者の杖とする地方もあるが、長寿祝いの杖とする所もある。
クワの木質はかなり硬く、江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられた。国産材の中では最高級材に属する。
また古くから弦楽器の材料として珍重された。正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。



▶男子が生まれると桑の弓・蓬の矢で四方を射る風は中国から日本に伝わった
華文明圏において「強」「弱」という漢字に弓の字が使われているのは、それが武力の 象徴であり、呪術用に特化して飾り物となった。また、桑の弓(くわのゆみ)とも言い、 男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射 た

桑は扶桑の信仰に見られるように、陽の精をあらわす神木で、桑を若木というのは、桑が生命の木、不死の木とする信仰があったと考えられます。




黒塚古墳
黒塚古墳(くろつかこふん/くろづかこふん)は、奈良県天理市柳本町にある前期(3世紀末頃)前方後円墳。33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名です。
黒塚古墳では、桑の木を刳り抜いて木棺を 造っていた。石室内におさめられていた木棺は,クワ属の巨木を使用した長さ6.2m,最大直径1mを超える割竹形木棺である。
木棺には中央部の長さ2.8メートルの範囲のみ水銀朱を施し、両端はベンガラの赤色で塗られていた模様である。水銀朱のところに安置されていたものと考えられている。なおこの縦穴石室は、ほぼ真北を向いており、被葬者の頭も真北に向けられていたことは推定できる。この真北は単なる偶然ではなく、ヤマト王権の中に被葬者の頭を真北に向けて埋葬する風習があったらしいと考えられている。





扶桑(ふそう)
中国伝説で東方のはてにある巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。またその巨木の生えている土地を扶桑国という。
古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ伝説上の巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。
古代、東洋の人々は、不老不死の仙人が棲むというユートピア「仙境=蓬莱山・崑崙山」にあこがれ、同時に、太陽が毎朝若々しく再生してくるという生命の樹「扶桑樹」にあやかろうとした。
海東のかなたには、亀の背に乗った「壺型の蓬莱山」が浮ぶ。海東の谷間には、太陽が昇る「巨大な扶桑樹」がそびえる。古代の人々は「蓬莱山に棲む仙人のように長生きし、扶桑樹に昇る太陽のように若返りたい」と強く願い、蓬莱山と扶桑樹への憧憬をつのらせてきたという。
後世、扶桑・扶桑国は、中国における日本の異称となったが、それを受けて日本でも自国を扶桑国と呼ぶことがある。


古来、扶桑国「日出づる国」日本を求め、中国から渡来してきたのが「採桑老」→「桑をとる翁」だったのかもしれない。

それは、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかった徐福(じょふく)かもしれない。
「東方の三神山」とは、蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことで、瀛州はのちに日本を指す名前となった。




ブログ☞太陽神は新羅の「迎日」か?
「迎日」という地名は高麗時代の延日県に由来し、『三国遺事』阿達羅王四年(157年)の「延烏郎と細烏女」の説話に現れる。

【延烏郎と細烏女】
阿達羅王四年(西暦157年)、新羅の東海岸に延烏朗・細烏女という夫婦が住んでいた。
ある日、延烏朗が海岸で海藻を採っていると大きな岩があって延烏朗を日本まで運んでいってしまった。日本の国の人はただの人ではないと言って、延烏朗を国王にしてしまった。

細烏女が延烏朗を捜しに海岸へ行くとまた岩がありその上に夫の履き物が置いてあった。
その岩の上にのると細烏女を日本へつれていった。細烏女は延烏朗に再会し王妃となった。

この時、新羅に日月の光が無くなった。
日官が国王に「この原因は日月の精が日本に行った為です」と奏上した為、王は二人を捜しにやったが二人は帰らなかった。細烏女は、使者に織った生絹を日本から持ち帰り、天に祭るように言った。使者が新羅に帰ってから言葉通り天に祈ると、太陽と月がもとに戻った。その絹を国宝とし、絹を収めた庫を貴妃庫お名付け、この時祈った場所を迎日県又は都祈野(ときの)という。
都祈野(ときの)は日の出の意味。




「絹(養蚕)は日・月に関わる」伝承として残されている。
これは、「道教の神々」で書いた、漢代(紀元前後の約400年間)「蜀」という文字は「かいこ」を意味し、絹を国家機密の戦略物資とした古代中国「西王母伝説」であり、大和で盛んに造られた「三角縁神獣鏡」の神仏思想とつながる。






私感です
実は、今日近所の方が亡くなり、お葬式に言ってきました。
お葬式には、仲間の方で雅楽をされていたという方々によって、雅楽を奏でられました。
うちの前の方で、よく話しもしていたのですが、おじさん、笙(しょう)を吹いていたんですね。
雅楽といえば神道のイメージがありましたが、仏教と合わさったお葬式は、なんだか古代の神仏習合を物語っているように思えました。
それは、私の中のテーマでもあり、九州巡拝を終えて改めて考えていた事でもあります。

奈良田原本も神仏習合の足跡がたくさん見当たりました。
日本最古の皇別氏族とされる「多氏」、秦氏とのつながり
九州と畿内に系譜を伝える「邪馬台国の女王の卑弥呼」もまた、多氏の一族である肥国造の人とする説もある。


最後まで呼んで頂き感謝です。







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弦楽器 百年、貯めたっていい。


明け方、変な時間に目が覚めて、お水を飲みに行こうとしたら、前触れもなく足が攣った(゜∇゜ ;)。
知哉さんのぶっ殺しセトリ恐るべし:;(∩´﹏`∩);:。


お昼過ぎまでのんびり過ごしてからやってきたのは久しぶりのZeppTokyo。     「10th Anniversary Special Tour ~from 2007~」でございます^-^。台風が近づいているわりには雨は小雨。開場が始まった頃から次第に強くなってきたけど、風がないからまだ大丈夫かな。  本日は「DaizyStripper」と「己龍」の2種類のグッズを抱えての参戦。Cチケだったので、5柵めかな、下手の後ろの方でのんびりと。  最初に登場「Mix Speaker's Inc.」。いつ以来か思い出せないくらい久しぶり。ここまで徹底的に世界観を表現しようとするバンドはそうそういないし、仕方ないこととはいえ、解散しちゃうのもったいない・゜・(つД`)・゜・ 。 ・・・ツインボーカルさんの片方が「鬼灯の冷徹」にしか見えない件(・_・)。

1曲めは楽器を持たないで全員で歌って踊ってた。
この曲楽しい^-^。
ラスト前の曲にまゆが登場\(^-^)/。
まゆが出てきたとたん、すごい歓声。
上手に下手に動いてメンバーさんたちと絡みながら楽しそうに弾いてた^-^。 「Mix Speaker's Inc.」はお芝居を観ているみたいな感覚にさせてくれる稀有なバンドさん。堪能させていただきました<(_ _)>。 
転換中、賑やかな声が響いて、何かと思ったら、幕が引かれたままのステージに、直人さんと准司と風弥がヾ(〃^∇^)ノ♡。

直人さん相変わらず良いキャラだわー(*´ェ`*)。
隣でウルトラマンやってるけど、俺はあげあげとかいわないよ、って言って、そう言ってるそばから英語でなんていうのって聞いてみたり。

准司が司会みたいな立場で、俺らと「ダウト」は近いけど、「DaizyStripper」と「ダウト」は遠くない?って。それを聞いた風弥、血とか闇とか骨とかって物騒な言葉を連ねて、それを聞いてた直人さんが Bone! って言ったその言い方も面白かったけど、何で英語で言ったの?っていう准司のつっこみも素早かった^-^。 俺ら何言いに出てきただろうね、って言ってたけど、風弥が、名古屋で「Mix Speaker's Inc.」の方々に大変失礼なことを言ったと謝ってたσ(^_^;)。名古屋のトリが「DaizyStripper」だったらしいのだけど、そのときに「HERO」のメンバーさんかな、乱入してきてくれたときに、小さいタンバリンを持ってて、後で楽屋に行った時に、それを、馬鹿っぽいって言ってしまったところ、それが、「Mix Speaker's Inc.」の持ち物だったそうで:;(∩´﹏`∩);:。その場で土下座って言ってた。「Mix Speaker's Inc.」のライブの時に使ってたタンバリンかな。ファンの人が腕につけてた丸いライト、あれ可愛くて良いなー。色も変わるし、フラッシュリングとかより全然綺麗。  2番手に登場したのは「HERO」。
一瞬たりとも時間を無駄にしないでしゃべりまくる高橋の話術はやっぱ最高に楽しい(*´︶`*)。最初に出てきて煽ったら、上手から笑いが起きたらしく、 舞監さん、1時間ください、上手ひとりずつ殺してく! とか、12/22にZeppTokyoでワンマンを演るから、告知してたんだけど、チケット買ったら買ったってツイートしてくれって言ったとき、このツアーを回ってて、「HERO 高橋」で検索したら、一番上に出てきたのが、 HERO 高橋 チェキ譲ります だったとか、 ワンマンには、夕霧くんが来るから、もう呼んだから!青海駅で、Zeppこっちー!って叫んでるから! とか、もう、おかしくておかしくて( ̄m ̄〃)。 「HERO」は肩を組んでヘドバンしたりジャンプしたりするのがキツいけど、両隣の人もノリが良くてさっと肩組んでくれて楽しかった^-^。円陣組んだときも、あっという間にサークルが出来て、後ろにいた外人のギャ男さんたちも、にっこにこの笑顔で参加してたのが見てて嬉しかったなー(*´ェ`*)。 肩組むのはキツイし、ヘドバンもジャンプもやりにくいし、体力持っていかれるからあんまり好きじゃないけど(´・ω・`)。でも、絶対に楽しい気分にさせてくれるし笑わせてくれる「HERO」。本当に楽しかった^-^。  転換中、幕の向こうから聞こえてきた「アマカラ」。サウンドチェック中に、次がどこのバンドかわかるようにしているみたい。 ツアーファイナルのときみたいに、クラシックのコンサートのような弦楽器の音に乗って登場してきた楽器隊、そして、夕霧。和風な衣装のReiさま、髪はナチュラルにおろしてて、今日も一段と麗しい~(〃∇〃)♡。アカペラで朗々とZepp中に響き渡ったのは「ダンデライオン」。こういう始め方で、瞬時に観客を引き込むのって、夕霧にしか出来ないと思う(・_・)。 「WHO KILLED THE FIGHTER?」は振りが挙動不審(´・ω・`)。あちこち違うし。MCを挟んで「AGAIN」、そして「キボウノカケラ」。「キボウノカケラ」は大好きだから聴けて嬉しい(*´︶`*)。ラストは「decade」。「DaizyStripper」のお時間は瞬殺レベルであっという間(T_T)。 「decade」の最初、みんなで人差し指を立てて右手を挙げるところ、見渡す限りずらっと手が上がってたのに感動した(ノ´▽`)ノ♡。あれ?これってワンマンだっけ?って勘違いできるくらい。 ライトの関係なのか、風弥は陰になってしまって、その表情を伺うことがあまりできなかったのが残念だったけど、「decade」のとき、夕霧にマイクを向けられて、笑いながらもひたすら拒否してたのが可愛かった(〃∇〃)♡。 MCの前かな、後ろに下がるとき、フロアに向かってばち!ってウインクしたReiさま(*´︶`*)♡。下がり際のウインクは反則レベルでカッコ良い(੭ ˃̣̣̥ ω˂̣̣̥)੭ु⁾⁾♡♡♡。 気がついたときには衣装の上着を脱いでTシャツ姿になってたなお。この衣装は、暑くて、1曲もたないってインストで言ってたなー(・_・)。 「decade」の途中で、さりげなく下手から登場した幸樹さんΣ(- -ノ)ノ。
気付かずに歌う夕霧。お立ち台にあがって、ちょっとだけ歌って、そのまま何事もなかったように上手にはけて行った。
楽しいー!って夕霧が叫んでたけど、幸樹さんが出てくることはサプライズだったみたい。イベントならではの演出楽しす(*´ェ`*)。  転換中に登場したのは、まゆ、風弥、眞弥、なお、そしてダウトのメンバーさん。
キーワードは「関東バンドマン」。渋谷生まれで足立区育ち、そして埼玉に飛ばされて舞い戻ってきた眞弥。まゆと風弥は横浜で、神奈川じゃなくて横浜っていうことに突っ込みを喰らうらしい( ̄m ̄〃)。 次だから準備があるんで、といって戻りたそうなダウトのメンバーさん。でも終わらせまいと話題を繋ぐなおw。今日のキーワードは?とまゆに振ったら、まゆはキーワードぉ?って言って はんぺん 何故???
どっから連想したんだろう・・・( ̄  ̄;)。

4番手はこちらも久しぶりの「ダウト」。直人さんは生誕祭以来だけど。 いつものことながら、「ダウト」のファンのマナーがひどくて呆れる。足元に荷物置いて座り込んで、おにぎりやお菓子を食べ散らかして。ここはがらがらのCYBERじゃないのよ。どこのどマイナーの動員ですかって感じ。どマイナー動員でもめったに見かけない、おっさんみたいに胡坐を組んでるその姿、大好きなメンバーさんに見られても平気なのかな?  「ダウト」は「感電18号」や「MUSIC NIPPON」、「花咲ビューティ」みたいな聴き慣れた曲も演ってくれて楽しかった^-^。「花咲ビューティ」の 春うらら唄います あなたよ美しくあれ のところで「Mix Speaker's Inc.」のボーカルさん登場\(^-^)/。続いて、オペラ歌手みたいな声が響いたと思ったら、夕霧が歌いながら出てきたヾ(〃^∇^)ノ。
こんな歌い方ができるの、夕霧しかいないと思うの(・_・)。  5番手が「vistlip」。
両サイドの髪を下ろして後ろをポニーテルにしたうーみんカッコ良す(*´︶`*)。
「vistlip」は楽しいし、カッコ良いし、暴れられるし、何度も聴いてるんだけど、サビひとつ覚えられない:;(∩´﹏`∩);:。
 ここでにぎやかに登場したのは高橋とseekさんと夕霧?この後カッコ良いバンドがたくさん出てくるとか、どこが出てくるかわからないとかとぼけたことを言ってたのは高橋だったと思うんだけど、次の己龍の印象が強すぎて記憶が曖昧:;(∩´﹏`∩);:。 
大トリは予想通り「己龍」。最初に登場楽器隊。ポニテの准司がカッコ良い(੭ ˃̣̣̥ ω˂̣̣̥)੭ु⁾⁾♡。片手をあげて、にこやかに会場を見渡して、ブルーの要塞へ。准司の要塞は、これまでセットされていたドラム要塞より、ひと回りもふた回りも大きい。今日のステゴッチくんは、いつもよりコンパクト仕様だった気がするけど(・_・)。 スタッフさんに背中を押されて登場した眞弥。「天照」始まりでテンションがブチ上がる^-^。上手で荒ぶる参輝先生、その奥で、にっこにこの准司の笑顔に癒される(〃∇〃)♡。さっきまで、足が痛いの首が痛いのって思ってたんだけど、そんなこたすっかり忘れた(・_・)。久しぶりの「朔宵」。始まると同時に、脳内では振り付け動画が自動再生。 最後は咲けーーーーっ! って声が必ず脳内に響く\(^-^)/♡そこここに翻る扇子の波。やっぱ良いなぁ^-^。 「阿吽」の掛け合いも楽しかったし、大好きな「暁歌水月」に、超久しぶり、単独巡業でも聴けなかった「空蝉」が聴けて本当に嬉しかった(੭ ˃̣̣̥ ω˂̣̣̥)੭ु⁾⁾。
このまま終わるのも物足りない、かな、眞弥が言って、全員をステージに呼び入れて、大セッションに。
何か、シンバルを持ってる人がいるなーと思ったら、准司の要塞がどんどん解体されてたΣ(- -ノ)ノ。それを観ながら叩いてる准司の笑顔がもう最高(*´︶`*)♡。 気がついたら、目の前に来てた九条さん、ギターを持っていない(゜∇゜ ;)。代わりに金色の扇子を持って楽しそうに、直人さんと並んで踊ってた。その扇子を直人さんに渡してぴょんぴょん踊ってたと思ったら、上手に移動して、今度は参輝先生をアピール。ものすごく楽しそうで、めっちゃ可愛い(〃∇〃)♡。
曲が終わって、ひとバンドずつコメント、って流れで、高橋が、12/22にここでワンマンがあること、seekさんと幸樹さんと夕霧が来ることを告知して、 渋谷で、seekさんが立ってる横で、幸樹さんが、全身全霊!って叫んでるから!その横で夕霧くんが、Zeppこっち!って言ってるから! だったかな、そんなことを言ってたけど、夕霧に、 渋谷?遠いよw って言われてた。今日、いっかいでも笑ったやつ、必ず来い!って言う高橋の告知では、楽しく笑わせてもらったけど、解散に触れたseekさんのMCにはちょっとしんみり(・・、)。続いて夕霧は、20周年でもまた同じメンバーでこういうツアーが出来たら良いねと言って、 その時は、ミックスさんも1日復活とかして って。こういうひと言を添えられるのが夕霧の素敵なところ(*´︶`*)。 次にマイクを持った智さん、うーみんに向かって、 何でお前だけ一般人寄りになってんの? ・・・うーみん、帰る気まんまんの私服に戻ってる( ̄m ̄〃)。ほかのメンバーさんはメイクも落としていないというのに、ひとりだけ素早いなw。でも、うーみん、前に、逹瑯に、メイクをしないでステージに上がるようになってきたけど、ビジュアル系としてメイクをしないというのはいかがなものか、みたいなことを相談してて、逹瑯に、メイクをしないということも表現のひとつだから問題ないんじゃない?って言われてほっとしてたみたいだから、もともとすっぴんなんじゃないかなー。衣装はともかく(・_・)。 告知を済ませた智さん、ひよりんにマイクを渡したけど、お隣で幸樹さんがお待ちですがσ(^_^;)。幸樹さんがまだ話していないことに気付いていないひよりん、何で僕?とか言いながら締めに入ろうとしたけど、幸樹さんと智さんのアピールが入って、ひよりん、土下座( ̄m ̄〃)。アピールしてくださいよー!って眞弥がフォローしてたけど、アピールはお早めに(・_・)。 幸樹さんは、47都道府県フリーライブのお話を。飲み物代だけ持って遊びに来てくださいって言ってたけど、47都道府県をフリーで回るってマジで凄いと思う。半年に及ぶ長期ツアー、無事に完遂されますように( ̄人 ̄)。でも、このツアーのおかげで、今年のSPEED DISK忘年会がなさそうな予感:;(∩´﹏`∩);:。毎年行ってたんだけど、いつもなら、もう、申し込みが始まってる頃だし、12月の土日だと、ダウトが出られない(´・ω・`)。 首も足も痛いし、疲労感も半端ないけど、それ以上に、とても楽しいイベントでした。全く休ませてくれない6バンド、どのバンドも素晴らしかったし、10年やってきたという自信と自負が垣間見れたライブでもありました。行って良かったです^-^。  会場から出たら、雨はやんでました。さすが太陽神九条さん^-^。      セトリいただきました<(_ _)> -Mix Speaker's Inc.-
1.ONESTAR
2.ドクロKITCHEN
3.トイドールの行進
4.YOU♪愛♪メッセージ(with:まゆ[DaizyStripper])
5.Shiny tale


-HERO-
1.「to you...」
2.超過激愛歌~Super Ultra Lovesong~
3.Listen to me
4.人間定義
5.「ソプラノ」


-DaizyStripper-
1.ダンデライオン
2.WHO KILLED THE FIGHTER?
3.AGAIN
4.キボウノカケラ~Shiny Days~
5.decade


-ダウト-
1.フラッシュバック
2.感電18号
3.JUDAS
4.卍
5.MUSIC NIPPON
6.花咲ビューティ(with:夕霧[DaizyStripper]/NIKA[Mix Speaker's Inc.])


-vistlip-
1.MONOGRAM
2.GLOSTER IMAGE
3.Recipe
4.Dead Cherry
5.HEART ch.
6.LION HEART


-己龍-
1.天照(あまてらす)
2.桜花爛漫(おうからんまん)
3.朔宵(さくよい)
4.夢幻鳳影(むげんほうよう)
5.阿吽(あうん)
6.暁歌水月(きょうかすいげつ)
7.空蝉(うつせみ) 

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